正伝永源院

付近住所 京都府京都市東山区小松町586
織田有楽斎 長好 婦人 息女  肥後細川家


 当院は建仁寺の塔頭寺院の一つで、建仁寺三十九世無涯和尚が創建し、もと永源庵と称し、肥後細川家の最初の菩提寺であったが、明治6年(1873)廃寺となったため祇園にあった正伝院を此の地へ移し、のち永源の名を受けつぎ今の名に改めた。釈迦如来を本尊とし客殿・庫裡・鐘楼・唐門のほか、平成8年に、正伝院に有楽斎が建てた名席「如庵」を復元した。
 正面左手に織田有楽斎らの墓がある。寺宝には有楽斎に関する遺品が多い。
 有楽斎は織田信長の弟で長益と号した。
 信長の死後剃髪し、千利休に従事して茶道の宗匠となった。晩年は「正伝院」を再興し、茶道三昧の生活を送ったが、元和7年(1621)75歳で没した。
 有楽斎の墓は昭和37年、有楽斎婦人、息女、孫長好の三基とともにここに移された。

    
                     有楽斎の墓           肥後細川家